アマノジャックなイジリアンのDAXと申します。CS系のMDやCTが大好きです、21年からはCT125に夢中でFBも始めました。

2018年07月

ロングバケーション’82 北海道6

18年7月末

台風12号の直撃により、お達者ミーティングが延期になり、またしても目標を失ってしまいました。回顧録の執筆を続けましょう。

82年8月18日

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札幌を出発し『駅』のロケ地である、銭函駅へ寄りました。まあ雪が無いと画になりませんが、この場所は感無量でした。

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やはり健さん所縁の地は、その場所に立っただけで役に成り切りれます、あの感動が甦りますよね(^^♪。

この通り道で健さんファンなら居酒屋兆治小樽にも行くのが普通ですが、その映画はこの時点では公開されておらず、1年早過ぎました(笑)。

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余市ニッカウヰスキー工場を見学しました、切符の日付は20日ですが、帰路で買ったのでしょう。この当時は平気で試飲させており、舐めたのは内緒です。

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余市からは神威岬へ来ました。あまり下調べしていませんでしたが、ローソク岩等の浸食が雄大で大自然に感激しました。

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この辺は険しい断崖の積丹半島で、当時西側の道路は未貫通でした。雄冬岬と同じく陸の孤島感が神秘的で、観光客も少な目でした。

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ここからの夕日が過去最高で、無い絵心も湧きシャッターを押し捲りました。この日は近くの積丹YHへ泊まったのでした。

8月19日

全くの偶然でしたが、家庭的なYHで一気に引き込まれました。

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ここは透明度が高い海で、「積丹摩周海」とか呼ばれていました。

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何故かパッケージツアーにまで参加、何と小舟で神威岩に渡して貰えました。

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潜ってウニやアワビも食べられ、貴重な経験が出来ました。

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海水でベタベタになったので、今度は川で塩分を流しながら遊びます。このロケーションがまた良く、皆若かったので大いに楽しみました。

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同泊したメンバーともすっかり馴染み、もう1泊する事にしました。礼文島や霧多布でも楽しめましたが、騒ぎ過ぎず丁度波長が合いこの旅でBESTな雰囲気でした。

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この日も夕日が綺麗で、連日の撮影会に出ました。昼間のツアーで知り合った娘が寄って来て、まあこんな事もありますよね(笑)。

8月20日

昨夜のミーティングで積丹の見所を聞きましたが、西側の終点からはシャコタンキャニオンと呼ばれる絶景が見れるらしいと・・。

馴れ馴れしい娘から「お父さん行きたい♪」とせがまれました。何とも頼られてしまい困りましたが、誰かがヘルメットまで提供し断れなくなり朝早くに出かけました(爆)。

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神威岬が反対から見える終点の沼前まで行きましたが、何処がキャニオンなのか判らず終いでした。その後に写真を送ったりしましたが、旅の途中の淡い想い出の一駒でしたとさ・・・。

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この旅は時間に追われず、お金にも余裕がありましたが、長旅になれてないので無計画に遊ぶのも飽きてきた頃です。

積丹を後にして余市へ戻った我々は、函館本線沿いに南下しました。途中の昆布駅でキップを買っていましたが、何の目的だったか思い出せません。

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その日の中に函館まで走り、大間行きのフェリーに乗りました。この間の写真が全く無く、相棒T君と何処まで一緒に走ったのかも忘れました。

つづく

ロングバケーション’82 北海道5

18年7月

連日の猛暑でバテバテです、代休は1時間ほど草刈りしました。熱中症で倒れる寸前まで頑張り、水風呂に飛び込みました。整体に行ったり通快の洗車したりでもう1日が終了、チマチマと回顧を進めています。

82年8月15日

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霧多布ではテントで2泊しました、多くの仲間も出来ましたが、また其々の目的地に向かって別れます。

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釧路湿原は、アフリカのサバンナみたいな草原に見えました。キリンやシマウマが居ても違和感がないロケーションでした。ここから相棒G7のT君は襟裳岬へ行くと主張し、この旅初の別行動としました。

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北海道は78年に1回周ったので、思い描いていた場所を優先しました。先ずはルーツ?を探る池田町です、この頃は駅の入場券を記念に買うのが流行りで、年月日が特定できて有益でした。

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ここは前回休館日でステーキを喰い損ねた、池田町営のワイン城です。十勝ワイン生産の見学と、念願のステーキ(当時でも4博文!)を楽しみました。

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その後はまた記念切符を買いに走った様です。当時一世を風靡した広尾線ですが、「愛国から幸福行き」は前回↑に訪れました。「新生から大樹行き」を買うだけの為に走ったとわ・・・、完全に忘れていましたが切符が証拠です、襟裳岬の近くまで何がそうさせたのか相当な遠回りですよね(>_<)。

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それから道央に戻りました。まだ見ぬ湖巡りもマイブームでした、糠平湖で日没が近くなり、久々にYHに泊まりました。

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8月16日

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当時の北海道は賑やかなYHが多かったですが、糠平湖YHは静かでした。朝同泊したZ1300氏から試乗を勧められ、お言葉に甘えました。我人生のバイクで最大排気量の6気筒でした。未だに破られていませんが、今ではカブ系で満足しており、乗りたい欲望も湧きません・・・。

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糠平湖から然別湖へ、ここではGS650G氏に会いましたが、初めてFX-Ⅱに興味を示され試乗を許しました。GSより遥かに軽量高性能だと絶賛され嬉しくなりました(^^♪。

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ここからは北海道三大秘湖の最後になった東雲湖へ向かいました。

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当時はボートで渡れましたが、今では環境対策なのか廃止されています。歩けば山越えで1時間以上も掛かるらしいので、良い時代に行けて助かりました。

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綺麗な花やオショロコマらしい魚が見れましたが、直ぐに霧に包まれ幻想的な湖でした。

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こちらは扇が原展望台です、ここでXJ750E氏と並びました。前にも書きましたが、Z750FX-Ⅱを新車で選ぶ時に最後まで迷った750でした。宿命のライバルに遭った気分で、しかもタンクの同じ位置に利尻島のステッカーを貼っていました。我車は礼文島のステッカーだったので、奇しくもこれもライバル関係の似た者同志だと称え合いました。

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この日は狩勝峠を越えて、富良野の公園でキャンプしたのでした。2日ぶりで相棒のT君とも合流しましたが、新鮮な気分になりやはり時々は別れて走る方が楽しいと感じました。

8月17日

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富良野と云えばラベンダー畑↑です、時期的には7月が見頃なので、8月中旬は枯れ始め↓、見栄えのする写真は無理でした。

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更に富良野はドラマ「北の国から」でも有名です。当時の私は見てなかったので興味ありませんでしたが、T君は大興奮でロケ地を周りました。

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次はエレキバンCMで有名になった比布駅です。何か変に嬉しかった場所でした。

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第二弾の比布神社↓も訪ねました、Chipsの半袖シャツが懐かしいです。

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この日は札幌まで、時計台や北大のクラーク像などを見学しました。

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そしてリッチにビジネスホテルへ泊まりました。小汚い恰好だった所為か2軒も満室と断られました(爆)。

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最後の贅沢とススキノ界隈に繰り出したのかは、ご想像に任せます(笑)。大通公園でトウモロコシを喰った記憶はあります、広々とした街に驚き田舎者を痛感したのでした。

つづく

ロングバケーション’82 北海道4

18年7月

連日の真夏日で自宅もエアコン入れっぱなしです。代休でも作業をする気分になれず回顧録を進めています。

82年8月12日

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起床して直ぐに知床五湖を巡りました、最近ではエリアが限定された様ですが、この当時は遊歩道が長かった記憶があります。

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ここまで来れば絶体に「カムイワッカの滝温泉」は外せない筈ですが、何で行くのを止めたのか思い出せません。

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羅臼岳を望みながら宇登呂へ戻りました、ここからは
78年には開通してなかった「知床峠」越えです。国後島も見える雄大なコースでした。

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峠を下った羅臼からは、また東側の終点まで走り、相泊温泉に浸かりました。

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何と囲いだけの海水温泉でした。この先の知床岬は未だに秘境で徒歩か船でしか行けない場所です。

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そこからは寝床を求めて走りましたが、野付半島のトドワラに寄りました。

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そしてこの頃に地平線で話題になり出した、開陽台赤丸)へ到着しました。

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今考えると自由な時代で、展望台近くまでバイクで入れました。湿ったダートの急坂を750で登るのは躊躇しましたが、転けずに助かりました。

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ここでキャンプしたのですが、礼文島にも負けない長期滞在者が多く、ライダーの聖地として人気が高まっていました。

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何かならず者を彷彿する連中が居て、中標津の直線道路をカッ飛んで行くマッドマックスごっこ↓が楽しいと語っていた様な・・・。

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まあそんな遊びには参加しませんでしたが、翌日のバイクミーティングを聞かされ興味津々となったのでした。

8月13日

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この日は根室から日本最東端へ、納沙布岬や北方領土の資料館も見学しました。目前にソ連が占領した島が見え、双方の巡視船が睨み合っています。

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開戦前の連合艦隊が密かに集結した、単冠がある択捉沖縄本島の3倍もの面積だと驚きます、資源の豊かさもあり早期の返還を望みたいものです。

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8月14日

昨夜からのキャンプ地は霧多布岬でした。どんな場所かも知りませんでしたが、開陽台で会ったライダー達からの情報で、この日「第2回ノースランドラリー」がここで開催されると知りやって来たのでした。

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近くの酒屋で廃材を調達し、焚火をしながら過ごしていると、主催者である風間深志さんが遊びに来ました。

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風間深志さんは元O誌の編集者で、80年XRでのキリマンジャロ挑戦や、82年DRでのパリダカ完走で有名な方とは知っていましたが、まさかこんな所でお会いするとは驚きました。最近ではSSTRのイベント主催等でも知られています。

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夜まで続々と参加者が増え、キャンプファイヤーも盛り上がりました、知らない若人が「雨上がりの夜空に」を歌っていたのが忘れられません。歌詞の深い意味を知ったのはそれから30年も過ぎてからでした(爆)、DAX青年24歳の夏でした。

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楽しかった霧多布の一夜でした。未だに何が趣旨のラリーだったのか判りませんが、ステッカー↑を頂きO誌↓にも掲載されました(^^)v。300台も集まったと書いていますが、100台も見えなかった記憶でした。

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その後の活躍はご承知のとおりで、エベレスト南極などバイク冒険家の第一人者です。私はこの後でオリジナルブランドである、風魔+1のジャケットを買い、30年以上も愛用する信者になりました(^^)v。

つづく

CTカム交換

18年7月

見近島のハンターカブミーティングに参加以降、手の痺れが続き気力も萎え、バイクイヂリから遠ざかっていました。実に50日以上も通快のOIL交換くらいしか覚えがありません。

夏本番の暑さと蚊の大群の中では益々と作業は捗らず、どげんかせんといかん!。

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月末のお達者ミーティングも近いので、やっと重い腰を上げて、青CTのカムシャフト交換を行いました。

前々からエンジンのオーバーホールを企て、軽量クランクシャフトを準備していますが、一度に色々と変更すると効果が判らなくなります。

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先ずはJUNさんの新型カム(左)の装着が優先です。交換自体は15分も掛かりませんが、新旧の形状比較やコンプレッションの違い等も記録しながら楽しみましょう。

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これはノーマルカム(右)と新型ハイカムの比較です。ハイカムはオーバーラップの角度が広く、ベース円も直径が小さくなっています。

入替え後にタペットクリアランスを測ると、ノーマル時は0.08だったのが、ハイカムを入れた後では0.10以上の緩々でした。ロッカーアームアジャスターを合わせ直し、今度は0.07にしてみました。

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注目のコンプレッションですが、ノーマルは13Kgあったのが、ハイカムにしたら11Kgまで落ちました。やはりオーバーラップの影響で、有効圧縮が下がりますね、実際にセルが楽に回るので違いは確実です。

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さあ実際に走ってみましょう、家の用事を済ますと14時過ぎでした。

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スペースワールドの跡地ですが、観覧車は完全に無くなっていました。スペースシャトルも何時まで置いとくのやら?。

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山間部に入りましたが、ちっとも涼しくなくヘルメットの中は汗だくでした。直ぐに気が付いたのは出足が違います、低速トルクは落ちて粘らなくなりましたが、4千回転くらいから一気に吹け各ギアの伸びが良くなった気がします。

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最期は平尾台を周回し、50㌔近くも走りました。標高が高いので涼しさを期待しましたが、それ以上に気温が高く日陰以外は暑かったです。

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ここは去年ホンダのCFの撮影地だった場所です、避暑目的の方が多く、同じ様に多分ガッカリしたと思います。

ハイカムは効果抜群で、1万回転まで引張れます。更に引張りましたが、一瞬バルブジャンプを感じたので、1万までに留めた方が良さそうです。低速はノーマルカムに敵いませんが、急激なトルク変動が少なく、フラットな伸びで乗り易いと感じました。

駆るのが楽しいので、つい回したくなり燃費は期待しない方が良さそうです。まあこれは今後のデータ取りで明かされるでしょう。

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こちらは以前に試したプロトカム(右)と新型カム(左)との比較です。
プロトは1万まで楽に回りましたが、中低回転がスカスカでツーリング仕様には向きませんでした。コンプレッションは10.5Kgまで下がる過激でした、新型カムの11Kgはやや抑えた仕上げなのでしょう。

プロトは癖が酷く、常に回さないと走らず、ギヤチェンジも頻繁で疲れました。何よりCTのエンジン特性とマッチせず、吸排気系のバランスが難しいカムだったと今回の比較で判りました。

今後は新型の22Φエキパイも試し、違いを探って行きます。年を重ねるとテンションを高めるのが難しく、軽量クランクへの交換や理想のCS系エンジンの検証が進みません、ボチボチですが頑張ります(^^)v。



ロングバケーション’82 北海道3

18年7月

梅雨明け宣言が出され、夏本番に入りました。外での作業が億劫なので回顧録を続けます(爆)。

82年8月10日

この日は泊めてくれたM氏の自動車で観光しました。当時の北海道では自家用車にクーラーがないのが普通だと聞き驚きました。

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先ずは層雲峡へ行き、黒岳へロープウェイやリフトで登りました。

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絶景よりも野生のシマリスを見た記憶しかありません。M氏の彼女であるK嬢も一緒でしたが、霧雨で残念なお天気でした。

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層雲峡も78年に来ていますが、印象は薄く道央は紅葉の季節かな・・。

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最後は定番の牛乳店です、78年にも寄りましたが3杯が限度ですよね・・。この日もM氏宅にもう1泊させて頂きました。

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初めて甘えびをご馳走になりましたが、殻は剥かずに尻尾を押して身を出すのを知らず笑われました。

8月11日

バイク旅を再開します、最初は網走刑務所へ行きました。前回は外で写真を撮っただけだったので、今回は中の資料館も見学しましたが、蝋人形なんかがありリアルでした。

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その後は道東の湖巡りです、又しても雨模様で視界が悪く残念。

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北海道3大秘湖「オンネトー」です、本来はバスクリン色です。

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阿寒湖から屈斜路湖、更には摩周湖と足早に巡りました。

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視界は悪かったですが、霧は無く良しとしたものでしょう。

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その後は知床へ入りました、オシンコシンの滝ですが、この4年前に来た時は未舗装林道の下に見えていました。下側に新しい道路が開通し、どんどん開発が進むのにびっくりでした。

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宇登呂ではイクラ丼を食べ大満足。この日はキャンプしましたが、

「ホテル地の涯」

近くの荒地でした。この頃は九州でしか売ってなかったインスタントラーメン「うまかっちゃん」を大量に持って来て食べるパターンでした。

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つづく

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