アマノジャックなイジリアンのDAXと申します。CS系のMDやCTが大好きです、21年からはCT125に夢中でFBも始めました。

車歴と回顧録

続・紫電改漫画

23年12月


以前から何度も書いているが、世代的に戦記少年だったのでレシプロの単座戦闘機が大好きです。


そして戦闘機の中では「紫電改」に一番惹かれ、終戦前の伝説的な活躍に感化されました。

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それらを脚色して書かれた漫画がこの「紫電改343」です。20年末から隔週刊誌の「イブニング」に連載され、単行本の全9巻まで買い揃えました。

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銀のプレートは「鹿屋航空基地・資料館」に展示されている贈呈品です。旧海軍の松山基地ジオラマは「宇和島・紫電改展示場」です。

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宇和島の紫電改は海中から引き揚げられた本物で、パイロットだった笠井さんの紫マフラー等も展示されています。

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紫電改のエンジンは中島製の『誉』ですが、鹿屋史料館の屋外に朽果てた状態で展示されています。完全な状態のは「大和ミュージアム」で見れました。星型18気筒のコンパクトなエンジンですが、整備性が悪そうだし物資不足の時代では本来の性能を発揮できませんでした。

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「知覧特攻平和会館」には同系(陸軍名称ハ45)エンジンを使った「四式戦・疾風」の本物⇧も展示されています。元々が飛行可能だった機体なので日本での保管は賛否両論があります。紫電改の何倍も製造された陸軍の優秀機ですが、戦記での人気はやや劣っています。

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そして最後は「加西市・soraかさい」の実物大模型もやっと今年5月に見に行けました。

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左が宇和島の本物で右が加西の模型です、これで紫電改関連の展示はほぼ全て制覇したと思います、本場アメリカにはもっとありますがそこまでは無理でしょう。

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本題に戻ります、「イブニング」が休刊で楽しみだった連載も打ち切りとなりました。人気の作品なら別冊なり引越しを検討するでしょうが、それも叶わず尻切れトンボになり失望していました。そんな中で有志によるクラウドファンディングで「同人誌」としての続行が決定、私も加担し普通に買えた筈の10倍位を寄付しました。

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配信版はPCやスマホがないと読めないので、印刷版も希望し待望のA4サイズが届きました。今後はコレクターズアイテムになるかな?、本が増え続けるのを自粛していますがこれは外せない永久保存版にします。

おわり

富士山と乗り物

23年9月

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8月末に冒険家の“三浦雄一郎さん”が『富士山』へ90歳で登頂して話題になりました。

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三浦さんは66年にスキーでの富士山直滑降⇧を成功させ、富士山には縁がありますが「登山用車椅子」に載せられてまで登頂した事は賛否両論みたいです。

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一方で世界一の登頂回数なのが80歳の“實川さん”、今シーズンで2,230回目を達成されました。やはり自分の足で登ってこその偉業でしょう。



私は富士山が好きで過去にもその話題⇧を書いています。今回は乗り物を使った登頂を調べ直しました、91年以降は国立公園法?とかで多くは規制されましたが知らなかった事も多くありました。残雪でのスキーやスノボも死傷者が出て禁止されたそうです。

78.10.13富士山6合目

私自身は過去に友人と2回行きましたが、78年の10月はシーズンオフだったので、6合目までバイクで登れた良い時代でした。その先はザクザクの火山岩で空転し登れませんでした。

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カブで最初に登頂したのは63年8月4日の“鍋田さん”⇧なのは有名ですね。個人として仲間である強力達の協力で成し遂げられたのでした。

63.08.19ホンダ
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同じく63年8月19日にはカブとモンキーの「ホンダ混成チーム」、こちらも大人数で成功させ宣伝効果を狙ったのでしょう。

65.07カワサキ85-J1

65年8月3日には「カワサキチーム」も達成、2サイクル車では初めてでしょう。

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そしてOT誌で知られた自動車での登頂は67年8月10日、軽量なトヨタ「パブリカ」を大改造し後輪は耕運機用をWにしています。急勾配では外側のホイールをウインチにしてロープを巻き取りながら登ったそうです。

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パブリカにやや遅れ、67年8月22日には「京大の研究会チーム」が、井関から借りたトラクターで成功しています。その模様はU筒⇧にもUPされ当時のCMにも使われたそうです。やはりキャタピラー式が正解みたいですね、ヰセキはポルシェの流れを汲むエンジンらしいです。

68.08.16ホープスター2
68.08.16ホープスター1

こちらは2スト4駆の360cc軽自動車「ホープスターON」で、68年8月16日に市販車として5~8合目まで性能テストしたそうです。先進的なメーカーでしたが、スズキに権利を譲り「ジムニー」として大成功したのはご存知のとおりです。

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現在では資材運搬用に「ブルドーザー」や「クローラーダンプ」が普通に使われています。救急用にも有料で利用されるらしいですが、一般の登山客用ではありません。

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やはり無限軌道(キャタピラー)じゃないと無理ですね、ユンボ⇧なら尺取虫みたいに腕を使って自力で登れるので無敵に思えます。詳しい文献は見ていませんが、「富士山レーダー」完成が64年なので「ブル道」もこの頃に開通したと思われます。これまで数々のチャレンジが「ブル道」を利用したのかは定かでありませんが、その後のバイクによる登頂には使われたみたいです。

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規制が無かった90年以前は、モトクロッサーやトライアル車でシーズンオフに登っていたそうです。当時の雑誌でも見た記憶があるし、動画にUPしている方も居ました。

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3輪バギーも見えますね、当時近くに住んでいたなら私も行っただろうと思いました。

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自転車野郎はもっと多かったのでしょう、全工程を担ぎ上げる体力は並大抵ではなかった筈です。現在は山小屋で止められるらしいですが、登山者が居ない時期なら荷物扱いで登れるらしいです。まあその理論なら誰もしないでしょうが、バイクも分解し数人で担ぎ上げ、頂上で組立て証拠写真を撮るだけなら可能ですかね(笑)。

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これは84年~の「ワゴニア」の朽果てた残骸です。御殿場から2.8合目の獅子岩電線付近らしく、無謀なチャレンジの成れの果てで何十年も放置されたままです。

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今となっては夢でしかなく漫画⇧だけの世界としましょう、環境破壊とかが叫ばれる前の時代を知る者として想い出を大事にします。若さ故の無謀なチェレンジすら許されないのは悲しい時代です。人口の減った現代に於いて異常な登山人気の「富士山」ですが、完璧に全貌が望める場所には再訪したいと願っています。

おわり

富士山と戦闘機

22年12月

年末は9月の「サウザンラリー」リベンジで鹿児島を再訪するつもりだった。しかし前職の社員とその家族に疫病が蔓延しHELPが続出、遊ぶのを断念して労働に励む日々が続いている(>_<)。

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さて今年一番の衝撃は9月に実現した日独戦闘機の共演、富士山をバックに見事⇧な編隊飛行を見せてくれた。F2とユーロファイターだがこんな日が来るとは平和な世の中に感謝したい。個人的に『富士山』は日本人の故郷と思っているので背景の写真には惹かれてしまう。

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日本機ではやはり「ブルーインパルス」が画になる、現行のT4や前のT2も良いが世代的にはF86に哀愁を感じてしまう、この五輪は初めて知ったが実際の映像なのかな?。

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最新型ではF35だし、最近では米軍のFA18が「TOPGUN」で注目されたな。

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大戦機では「零戦」が最高に映える、最後のカラーは復刻22型が来日した時だがもっと色々見てみたい。合成写真が多いので見極めが難しい。

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この大型機は日本軍が鹵獲した空の要塞B17、テスト中の3機編隊で日の丸が誇らしい。

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こちらは爆撃後なのか超空の要塞であるB29だが、戦勝国の余裕が苦々しく見える。

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まさか大戦時に独逸機は来れないと調べると、メッサーシュミットやフォッケーウルフも極秘輸入していた。でも残念ながら富士山で飛んだ写真は見つからなかった。

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私は学生時代の78年から80年まで関東に居たが、飛行機から『富士山』を見るのが楽しみだった。

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ツーリングもよく行ったし、帰省時は山陰や四国等も周り高速道路も便利に使った。

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79年の9月末に一度だけ頂上まで登ったが、濃霧と寒さで全く楽しめなかった。80年の卒業で帰郷したMT250での高速走行は苦痛で、この撮影後⇧にエンジンブローして大変だった。82年の北海道ツー帰路は東名を自走したが夜間通過で見えず、その後も長くチャンスなし。

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03年の青山カフェ時にやっと飛行機から撮影⇧できたが、その後は時間帯が合わず20年近くも見る機会がない。

何度か書いたがバイク乗りは飛行機に憧れる、特に単座の戦闘機を駆るのはバイクとシンクロする。富士山とのコラボは最高の組合せを感じる、まあ比べられないが今度はカブ系で行って撮影したいと願っている。

おわり

回顧 ’86年6月 RV125で砂丘レース

21年8月

バイク回顧録の自分史も結婚前まで進めました、考えてみればモータースポーツの競技は2輪4輪を問わず関わった事がありません。何らかのライセンスも持ってないし、今後も参加する事はないでしょう。カフェカブ等でサーキットの体験走行はありましたが、元々が競い合うのが苦手なので人生そのものが消極的です。

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この時代はOFF車が流行り、色んなイベントが開催されていました。その中で地元の波津海岸を使った「玄界灘3時間耐久エンデューロ」も何年間か続きました。当時出入りしていたバイク屋が主催した誘いもあり、1回のみ参加したのがこの砂丘レースでした。

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この海岸線は82年頃から度々遊んでおり、環境団体とかの規制もない大らかな時代でした。今なら許されないモトクロッサーも平気で走っていたし、4輪駆動車も多く来てました。

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08:30のスタートは私で何と!ルマン式(笑)、この時の出走マシンは砂浜では最強と謳われたスズキのRV125でした。以前にZのサイドカーを借りた現場のU先輩所有車で、今回の相方として誘い出したのでした。

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VanVan125はハスラーのエンジンでタフだと定評でしたが、流石に全開で走り続けると空冷なのでオーバーヒートし、どんどん遅れて行きました。スピードは40km/hくらいがやっとだったと記憶しています。

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U先輩と交代しながら善戦しましたが、やはり250クラスのOFF車のスピードには敵いません。所詮はレジャーバイクだったと認識してしまいました。

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私のライディング時に完全に止まってしまい、U先輩がセローを借り出し牽引で戻りました。30分以上もロスしましたが、パッドックにはM君ら応援団が構え、プラグ交換やら100回キックで復調、11:35ゴールインでヘトヘトになりましたが楽しかったです。

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結果は33周(+ハンディー7周)で16台中の10位、1位はXT200で88周も走っていました。おまけでドタバタが目立ってしまい敢闘賞も貰えました、アマチュアの草競技にせよレースへの参加は後にも先にもこの時限りでした。

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想い出す度に良い時代でしたね、最近はウミガメの産卵地とかで保護地域みたいです。

おわり

回顧 ’85年11月~ TX650編

85年11月

回顧録が続きます、これまで所有した大型バイクは3台とも4気筒ばかりで、OFF車4台は全部単気筒でした。漠然と今度は2気筒にも乗ってみたいと考え、友人S君のZ750TWINとは違う、バランサーなしが希望でした。ある日地元の中古屋を覗くとヤマハTX650が在り、確か現状渡しの4太子で安く車検とタイヤ交換を頼んで購入しました。


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これは2型だったかな?、直ぐに高速道路で慣らしツーリングに出ました。心地よい振動と2気筒サウンドが良かったです。

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岡山の山中まで往復しただけですが、クラッチやFディスクの不具合が出て修理代でまた散財しました(>_<)。

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86年に入ると28歳になり身を固める覚悟を決め、2月にお見合いをしデートを重ねたのでした。

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3月には友人達にも紹介して集団で阿蘇とかにも行きました、我々の世代では適齢期だったので続々と結婚ラッシュが続いていました。

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4月にはTX650にタンデムして、自分のライフワークを知らしめたのでした。因みにこの日のためにヘルメットやブーツを友人達から借り集めたのは内緒です。そう彼女こそ今の嫁さんで夏に結納し11月が結婚式でした♪。

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8月は3台で原付ツーへ、この時はゴリラ70ではなく新規に組んだモンキー70でした。

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ワンパターンの耶馬渓地区の渓谷ですが、KL250Rを沈めた岩盤でパチリ。この一帯はどこでも遊べます。

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こちらは「竜門の滝」です、ミニバイクでも充分に楽しめるのはその後30年以上も不変です。

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9月はまたゴリラ70で奥日田へ、TX650はタイミングが合わず出番は少なかったです。

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87年3月、結婚して益々とバイクに乗る機会は少なくなりました。やはり家族を持つと責任が圧し掛かります。

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87年9月、本当に久々にTX650でツーへ、M君は私が譲った懐かしのXL125R改です。

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お馴染みの奥日田から阿蘇へのルートを楽しみました、やはり九州では鉄板の絶景です。

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秘湯の旅は「黒川温泉」にしました、当時の深夜番組で流行った看板が涙物ですよね(爆)。この後は息子も生まれ、TX650は殆ど乗らずに車検切れし、最後は雑誌の売買欄に出し1太子で手放したのでした。

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21年6月、譲った地元の友人が30年以上も寝かしたあげく手放したらしく、次のオーナーが突然に見せに来ました\(◎o◎)/!。生き返らせるのは大変だったみたいですが、元の愛車なので嬉しかったです。

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