アマノジャックなイジリアンのDAXと申します。CS系のMDやCTが大好きです、21年からはCT125に夢中でFBも始めました。

2020年12月

20年大晦日

20年12月末

あと3時間ほどで年越しです、年末のバタバタを振り返ると大掃除以外は終えました(爆)。

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先ずは区切りであるお墓参り、家内の里と我家の先祖を年に何回か周っています。

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ボランティアで前職の引継ぎの後はラーメン、新開店の旭川ラーメンで背油大過ぎ・・。

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角プレス6号はスノータイヤへ入替、年末年始の大雪予報に備えました。

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その後に東郷神社に参拝、Z旗のステッカーお守りを買いました。更には南九州旅で懸案だった膝の電熱パンツも購入、また極寒テストが楽しみです。

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昼飯はラーメン、最近はライト系が好みなのでここを贔屓にしています。

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6号は雪がちらつく中で洗車、トランポも手抜きながら洗い流しました。

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強風の中ですが食材確保に最後の買物にも、もう手抜きの総菜ばかりです(笑)。

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昼飯はまたラーメン、ここは安い割に美味しく最近とみに人気があるみたいです。

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おやつにアップルパイも購入、美味しいと聞けば直ぐに買いに行ってしまいます。

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次期愛車の研究にも余念がありません。やっぱ上がりカブはCT125しかありませんね、サイドスタンドが弱点みたいですがこれは流石に不格好でしょう。

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大昔のEGスタンドをモチーフに、もっとスタイリッシュにした設計ができないかな・・。

でわ最後の戯言を終わります、来年こそはコロナを撲滅して良い年になります様に、今まで我慢を重ねたので羽を伸ばして遊びたいです(^^)v。

九州四極端踏破

20年12月

今年もあと1日となりました。疫病の影響でカブで遊ぶ機会は減りましたが、その中でも9月末に退職し自由な時間を楽しみました。

九州4極端

先日の南九州一人旅で各地を訪問し、やっと目指す九州の四極端を制覇できました。

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先ずは最西端の「神崎鼻」は14年に訪問しています、この時は6輪作戦でしたがカブは降ろしていません。モニュメントまでは大分歩くし、階段もあるのでバイクと一緒に写るのは無理です。ここは日本本土最西端でもありますが、証明書は申請していません。

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そして12月の先週に行った最東端が「鶴御崎」です、ここも階段がありバイクは入れません。証明書はWEBから保存し日付を入れたインチキです(笑)。

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同じく先週に最南端の「佐多岬」です、日本本土最南端でもありモニュメントも新設され記念撮影には親切になりました。

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今回で三回目の訪問でした。最初は76年↑のDax70で、二回目は83年のZ750FX-Ⅱ↓でした。

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当時は有料道路だったし、駐車場から相当に歩いた先に看板がありましたね。

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そして地元にある最北端が「太刀浦埠頭」です。何度も近付いていましたが、今年の10月に前職の引継業務で入場した時にトランポで証拠写真を撮ったのでした。ここは関門海峡に面する埋立地だし、国内有数のコンテナ基地であり港湾関係者以外は入れず、最北端を証する看板やモニュメントは一切ないのが残念です。

以上が九州四極端の自己記録です、まあ昔から岬や灯台が好きで日本中多くの場所へ訪れています。今後も身体が元気な中に思い残す事が無いように精進して生きたいと願っています。

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そして現在はこの様な「日本本土四極走破証明書」がもらえるそうです。これは先日会った“450riderさん”が実戦して入手され、各地の証明書を合体撮影した写真の転載です。

私は過去2回北海道を走っているので、最北端と最東端にも行っています。

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最北端は78年にCB500Fの一人旅、82年にZ750FX-Ⅱの二人旅で踏破。何れも石碑は昔のやつでバイクも中まで入れました。

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最東端は82年だけです。まあ証明書に価値観はありませんが、北海道はまた行きたくなりました。やっと念願の自由の身になったので来年はもっともっと走り回りたいですですね、その為には一刻も早く疫病が終息しないと安心して遠征できません。雪の北海道も走りたいので1年間準備して実現させるのが当面の目標です。

南九州一人旅 4日最終日

20年12月

おはようございます、6時に起床しバイキングの朝食を食べました。評判が良いのでセットにしたのですが、和食のおかずが多くパン派の私には合わずパンも焦がしました(笑)。

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掲示板に鶴が1万羽以上も飛来していると書いているので、7時に出発して向かいました。

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段々と明るくなり、田畑に鶴が多く確認できました、すぐ近くに寄っても逃げません。

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7時半の夜明けで更に多くの鶴が見えました。最高のシャッターチャンスでしたが、上等なカメラも腕もなくまあ雰囲気だけを楽しみました。この旅では4日連続で朝日を見る事になり、究極の非日常や雨が降らない幸運を喜びました。

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独特な鶴の鳴き声を聞きながら、次々に飛び去る姿も良いですねぇ、これも上手な写真は撮れません。

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まだ鶴センターは開館前なので、付近の下見をし天草に渡るフェリーの時間を逆算。

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やはりもの凄い数の鶴でした。全く警戒心を見せず慣れています、地域ぐるみで保護政策の賜物でしょう。

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ナビの設定をしくじり1時間くらい遠回りしましたが、「黒之瀬戸大橋」を渡り長島経由で天草を目指しました。

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長島は寄る場所がないので殆ど素通り、道の駅も朝は開いてなくフェリー乗場へ9時過ぎに到着。

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10時出航まで待ち長く、自販機の熱い缶コーヒーを飲みながら時間つぶしでした。すると1台のカブが到着し近寄ると、開口一番「しばやんさんですか?」ですと(>_<)。「いや同じグループですが“DAX”です」と答えると、「昨日佐多岬に行きましたか??」と聞かれ、大笑いで行動が筒抜けの狭い世界を実感しました。どうやら佐多岬で会ったバイク好きの管理人から聞いたらしく、SSTRの世話役で風魔氏とも関連があるとの事でした。

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待ち時間やフェリーの中でも色々と話す中で、KCCメンバーの“450riderさん"と判明し、同じくKCCのうどん屋さんまで同行する事に決めました。

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牛深港の「ハイヤ大橋」で記念撮影し、東シナ海が見える海岸線を先導して貰いました。全く予備知識なしのノープランだったので渡りに船です、まあ教会とか素通りでしたが快適なツーリングコースでした。

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ここも仕事の関係で気になっていた苓北の発電所です、まさか近くで見る事ができるとは感激しました。

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道の駅で休憩、対岸には長崎県・口之津や雲仙も望めもっとじっくり周りたい地域です。

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ここで12時半やって来ました「賀茂川」へ、綺麗にカスタムしたJA44とKCCの看板まで在りました。お薦めの焼肉定食を美味しく頂きました、確か10月ころに“しばやん”も来たと記憶しています。

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同行した“450riderさん”は松本ナンバーで佐賀在住のJA07乗りです。今まで接点はありませんでしたが、お達者ミーティング等で会っており、私のブログは良くご存じでした(笑)。SSTRの実践参加者でつい最近に日本本土四極走破を達成した↑そうです(^^)v。

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女主人の“KAMOKOさん”ともご挨拶でき、お店の前で記念撮影しました。今後は天草に来た時は必ず寄る場所になるでしょう。13時半に出発、短い間でしたがこの旅では初の2台で楽しめここでお別れしました。

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あとは天草五橋を渡って戻るだけです。干物を買うつもりで売店を探しましたが、2軒ほど見逃しそれっきりになりました(*o☆)\バキッ。

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15時前に三角西港に到着、昔の埠頭跡があり当時の繁栄が忍ばれました。

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そして見たかった海中の電信柱の場所へ15時半に到着、「長部田海床路」です。

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バイクの特権で沖まで走るつもりでしたが、殆ど満潮に近く斜面のみでの撮影となりました。これでまたいくつかの帳面が消せ、自由を満喫できる幸せを噛み締めました。

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さあ、今回の旅の最終目的地の熊本大津までここからあと1時間半くらい、ちょうど良い時間になったのでG先生任せの裏道を飛ばしました。最後の給油での燃費は45km/ℓを記録、やっと以前に近い高燃費に戻せました。

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17時半に予約していたのは「馬勝蔵」でした。ここはYouは・・の番組でMr.カブが馬カツを喰ったお店で、何としても来たかったのでした。

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バイクなのでお酒は飲めません、大津でもう1泊する案も考えましたが、夜通しで耐寒走行テストに決め単品メニューを選びました。

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馬カツと馬タン塩焼きを注文、🍚とお吸物も別メニューで、肝と芋はお通しらしいです。

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馬カツはヒレ肉で完璧に柔らかく赤ワイン風味のデミグラスソースが絶品でした、一方タンは硬く選んだのは失敗です。本当は馬骨ラーメンも食べたかったですが、現在は昼のランチ時間ともに止めているそうです。馬カツだけでも最高で来て良かったです、ここも家内をつれて再訪決定にします。18時に御馳走様でした、完全防寒装備にし足敷も20000mAhのモバイルバッテリーOnで出発。

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大津と云えばHONDAの熊本製作所です、正門前で最期の撮影を行いました(^^)v。ここから広域農道や山越ルートは疲労が溜まり危険です、G先生の別ルートを選んでも15分と変わらない到着予想だったので冷水峠ルートに決めノンストップで爆走しました。帰路は夜間でも0℃まで下がらず、グリップヒーター全開でOK。足は防寒長靴と相まって合格、バッテリーも4時間で50%くらいの減りでした。

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22時前に無事帰還、スマホのGナビは良い仕事をしました。走行中に充電を繋ぐと電池の消耗は少なく、冬場なら発熱もありません。しかし当然カメラの同時使用は無理なので、ナビ専用のスマホ導入を考える必要を感じました。

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本日の走行は407Km、燃費は45km/ℓの記録でした。3泊4日の総走行距離は1,345kmで充実した一人旅になりました、こりゃ癖になりますわな早期に疫病の終息を願います。

南九州一人旅 3日目の2

20年12月

室内の展示場を出ると後は撮影可能です、直ぐに三角兵舎が目に入りました。

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何かの映画で見た場所ですね、こんな粗末な場所で死の直前を過ごしたとは想像を絶します、映画のシーンが蘇り足早に通過しました。もしあの時代に生きたなら、同じ選択をしただろうと馳せます。しかし飛行機乗りは成績優秀で身体優良が求められます、近眼で優柔不断な自分では振るい落とされたでしょう、ハッ!と我に返りました・・・。

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皮肉にも隼ラーメンの看板が目に入り、朝から何も食べてないので吸い込まれました(爆)。豚骨鶏ガラ味のライト系でした、鹿児島がこの味とは思いませんが完食しました。

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外の展示には慰霊碑や隼がありました。こちらの隼も07年の東映映画で撮影に使われたレプリカです。ここで12時半になり知覧の街中を散策しました。

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高倉健さんの大ファンなので映画「ホタル」の聖地も外せません、「富屋食堂」の撮影セットも保存されています。

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最後は「南九州市役所」の前で「北九州市」から小さなバイクで縦断して来た証拠写真を撮影、やっと実現できて感無量です。南九州市ナンバーのMDも発見したのでパチリ(^^)v。

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ここで今回のミッションは全て終了、13時に知覧を後にし今日は何処に泊まるか考えながら帰路の北上を始めました。3年前に亡くなった父が最後に行きたがった遺跡を見ようと決めました。

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そしてG先生に導かれ広域農道を延々と飛ばし、15時過ぎに「曾木の滝」へ到着。

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初めて来ましたが水量が少なく迫力に欠けました。後日に古いアルバムを整理すると84年にKL250Rで来ていました⇩(笑)、完璧に忘れていましたが奥の橋は撤去されたのかな?。

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ここから宿の予約をしましたが、選択肢が少なく出水のビジホに決めました。流石に3日目になるとスマホ入力にも慣れ短時間で済みました。

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時間的に余裕が出来たのでコーヒーなど飲んで一人作戦会議(爆)、見たかった遺構は水位が高く今の季節は全部水没して見れないと聞きました。また次回とも思いましたが、道順だけでも下見する事にしました。

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バイクなので裏道から近付くも、ゲートで侵入不可!まあ場所の特定OKとします。

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次は対岸の展望所へ周りましたが、誰も居ないので奥まで乗り入れやっとその場所へ到着。

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晩年の父が最後に見たかった場所がここだったのです。駅からタクシーで案内させたらしいのですが、入口から遠いので見るのを諦めたと残念そうに語っていました。遺構の先端のみ少し見えたので、父の無念を晴らせた気分になれ来て良かったです。ここで16時半あとは宿まで走るだけです。

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17時過ぎの日没前に出水駅へ到着、なんとビジホは駅前でレストランもあるので便利かな。

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3日目にしてやっと明るい時間帯に落ち着けました、案内地図があったので商店街まで夕食に出ました。しかしここも日没後は殆ど開いてなく、烏骨鶏ラーメンに惹かれてしまいました(爆)。昼も隼ラーメンだったのに馬鹿です、塩味を選びビールも飲んで満足しました。

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駅前はライトUPのクリスマス気分ですが、誰も居なくて閑散とした寂しさでした。

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本日の走行は178km、早めに床に入るも明日のルートに悩んで中々寝付かれないのでした・・。

もう少しつづく

南九州一人旅 3日目の1

20年12月

せっかく指宿に泊まったので是非とも「砂むし温泉」に入ろう、昨夜に検索すると8時半開店と判ったので7時起床に決めました。

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部屋の窓から朝日が(毎日見てるけど)、気動車も目前を走る良いロケーションでした。

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朝食なしなのでのんびりと支度して8時に出発、この宿は元施設だったみたいで霊感が強い方にはお薦めしません。

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近いので薄着で移動5分で到着、まだ早いので海岸を下見すると砂風呂内は撮影禁止らしい。

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タオルと浴衣を借りて入場、当然ながらカメラの持ち込みも出来ません。朝一なのに日曜日のせいかお客さんが多くなり始め真っ先に来て良かったです。

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証拠写真が無いのでパンフレットからイメージを貼ります。自然の砂が暖かく適度な重さと密着で最高!約15分くらい癒され、思い切って入ったのは大正解でした。指宿のファンになり家内も連れて来たい場所に決定です(^^♪。砂まみれの浴衣を脱ぎ大浴場でサッパリ、汗が引くまで休憩して9時半に再出発、次はJR最南端の駅を目指しました。

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この地区は「開聞岳」が何処からでも絶景です、富士山と同じ美しい山で無い絵心も湧きます。

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昔はSLファンの撮鉄だったので未だに鉄道には興味が在ります。「宗太郎駅」に続き「西大山駅」もクリアしました。

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踏切を渡り反対側からもビューポイントを狙いました。コンデジとスマホを併用していますが、解像度はスマホの方が上で逆光時の失敗も少ないですね。10時過ぎにまた次へ進みました。

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気が付けば南九州市に入ってました、下調べしたBESTビューポイントでもパチリ。

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この辺は矢鱈にお茶畑があります、そりゃ「知覧茶」の産地なので当たり前ですね。

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そしていよいよ知覧の平和会館へ向かいます、鹿児島は広域農道が多くGナビに従いどんどん進み11時には移動完了。4回目の給油では燃費39km/ℓと更に悪化、回し過ぎかな(笑)。

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11時半から「知覧特攻平和会館」へ入場、こちらは「鹿屋史料館」と違い予約不要ですが入場料500円です。

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映画の資料も多くありましたが、殆ど見た事がある作品です。月光のピアノも展示されていました。しかしここは撮影禁止場所が多く、最初の零戦以外は撮れません。

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鹿屋の零戦は綺麗に復元されていましたが、こちらは海底から引き揚げられたままの状態で展示されリアルです。機関銃が多いので52型後期でしょう、機体は損傷が多いものの超々ジュラルミンは1mm以下の薄さで驚きました。究極の軽量化は我CTとは大違いで、ついエンジニアの見方をしてしまいました。これから先の室内展示は撮影不可なので、観光案内等の写真を引用して見学した記録を留めます。

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これは陸軍機の「隼」↑です。東映の映画撮影用に造られたレプリカです、実物大の模型なので詳細には見ていません。

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何年か前まではこの場所に同じく陸軍機の「飛燕」↓の実機が展示されていました。

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人物等のレイアウトは隼と全く同じだと判りました、飛燕はその後に神戸の川崎重工でレストアされ公開展示↓。

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現在は岐阜の「かがみはら航空宇宙博物館」に展示されています↓。もっと早く訪れれば知覧で見れたのに残念でした。22年5月末のSSTR帰りに訪問できました。



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そしてここで一番見たかったのは陸軍機の「疾風」↓です、これは73年に実際に飛行した機体で海軍の「紫電改」と並ぶ日本軍末期の傑作機なのです。エンジンは両機とも「誉」で数奇な運命だったと覚えています。

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飛行可能だった47年前の写真はこちら↓私は高1でした。日本の法律では飛ばす事に制約が多過ぎ最近の零戦の例を見るまでもなく、日本国内での動態保存は無理だと思います。

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以上、大戦機好きには見応えのある見学ができました。ここの趣旨は特攻で国に命を捧げた英霊の記録を残し、戦争の悲劇を後世に伝えるための展示です。膨大な手紙や写真を見るだけでもたっぷり時間が必要です、それらを安易に撮影する事は慎まねばなりませんが、飛行機まで撮影禁止にするのは如何なものかと感じます。

つづく
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